Page-6 (1998-Vol.2 )
↑ 同じく機動飛行を見せるAH-1S/73467 67号機。
↑ 青い色のTOW発射筒2本を付けたAH-1S/73453 53号機。この青い発射筒は以前霞ヶ浦分校でも見たが、何かシュミレーション出来る機能があるのだろうか?
↑ 観閲編隊飛行が終了すれば、引き続いて展示訓練が開始され、同じ千葉県習志野市にいる第一空挺団の協力も得て、空陸一帯の野戦演習を見せてくれる。AH-1Sは齢を重ねる毎に、編隊による多彩な飛行を披露してくれた。上写真は航空自衛隊がF-15等で良く行う3機の低空進入から、左右の機体が一斉に散開する演技である。
↑ ご存知の通り、木更津駐屯地は1968年から第1ヘリコプター団の本拠地であり、駐屯地祭の主役は輸送ヘリであるが、東部方面航空隊の傘下にある第4対戦車ヘリ隊が此処に新編されて以降、関東周辺で一番AH-1Sを見る事が出来る駐屯地となった。駐屯地祭で7機も飛行させる飛行隊は全国的にも少ないはずである。
↑ 1998年10月の木更津駐屯地祭で展示飛行の為に一斉にエンジンを駆ける第4対戦車ヘリコプター隊の7機のAH-1S。同ヘリコプター隊は、AH-1S 16機とOH-6D 4機の計20機を運用しており、恐らく3佐クラスの副隊長が、10機ずつに分けた分隊単位を管理していたものと思われる。其の見分けが付き易いように、特定の機体にはエンジンナセルに”/”の白いバーが書き込まれていた。
陸上自衛隊は、日本のあらゆる組織の中で最もヘリコプターの運用数が多い所で、1998年当時で大凡430機のヘリを運用していた。陸自はLR-1連絡機を除けば全てヘリであり、運用航空機の95%を占めていた。最も多いのはOH-6とUH-1であるが、その次に数が多いのがAH-1Sという事になる。陸自では既にOH-6の後継機種としてOH-1を選定し、OH-1の試作機も1996年にロールアウトしていた。米陸軍のコマンチ軽攻撃ヘリを強く意識したようなOH-1を200機近く導入して、AH-1Sと組み合わせ運用する計画で、陸自航空は一番元気が良かった時代でもあったのだ。(2025年9月 記)
↑ 1998年11月入間基地航空祭に展示された第4対戦車ヘリコプター隊のAH-1S。撮影された松野氏はしっかり尾翼のマークをフォーカスしていた。
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↑ 写真が前後するが、最初の観閲飛行で7機の編隊飛行を見せてくれた同隊のAH-1S。先頭の2機のエンジンカバーに白い斜め線”/”が入っているのが見える。
Wings
↑ 1998年11月に浜松基地で展示された明野駐屯地の第5対戦車ヘリコプター隊のAH-1S/73481 81号機。1996年(平成6年)に創設された最後の攻撃ヘリ部隊であった。
↑ 展示訓練の合間に機動飛行を見せるAH-1S/73429 。TOWミサイルの発射筒を取り付けるターレット部分に白で”29”と書かれている。一部の機体に機番の末尾2桁が書かれており、迷彩色下地に黑で書かれた本来の機番が見えにくい為の改善策になるのかもしれない。